実は……僕の兄の影響力は僕にとって大変凄かったのです!
僕の高校時代,、僕の兄は当時、世の中に出回っていたハイファイの33回転のLPのレコードをすぐさま購入し、(まだステレオタイプではなかった)クラシックのレコードをせっせと買い込み夜な夜な聴いていたのです。
それまでの78回転のSPレコードはベートーベンのシンフォニー1曲が3〜4枚組だったのですが、、LPは一枚で聴く事ができ音質も格段と向上しました。当然音楽高校に進学した僕は興味津々で兄と一緒によく聴いていたものです。
又、兄は僕より6つ年上で早稲田大学の学生で大学の近所のアメリカかぶれした飲み屋によく一緒に連れて行ってくれました。
当時そういう飲み屋にはジュークボックスなる物があって、コインをそこに投入し、聴きたい曲を選び出すと自動でレコードをかけてくれました。
当時はアート・ブレイキー楽団の「モーニン」や「ブルース・マーチ」が良くかかっていたのですが、デイブ・ブルーベックカルテットの「テイク・ファイブ」「トルコ風ブルーロンド」
などが僕がコインを入れなくても頻繁にかかっていました。
そのジュークボックスから聴こえる「テイクファイブ」のサックス奏者の音………その音色といい、完成されたメロディーラインのアドリブといい、品のいい歌心といい、本当に素晴らしく毎回聴き入ってしまいました。
クラシックのフルートを勉強していた僕はこのサックス奏者の音楽にメロメロになったわけです。
そのサックス奏者はポール・デスモントという人で「テイク・ファイブ」の作曲者でもあるのです。その後、僕は早速アルバム「テイク・ファイブ」を買い、一週間後には 僕にも買えそうなアルトサックスを買っていました。(勿論僕はユメユメサックスのプロになろうなどとは思っていませんでした。)
サックスを買ってさらに一週間もすると、サックスはフルートと指使いがあまり変わらないので……当時僕が好きなアメリカのポップスやビートルズ等のメロディー等を吹けるようになっていました。
それからというものフルートの練習が終わると自由気ままにサックスを吹いて楽しんでいたのですが、何といってもサックスの音量はフルートの10倍位大きい音がして、きっと当時の僕はフルートの練習での欲求不満が解消される感じがしたのでしょうね。
……と言うわけで、高校の同級生とバンドを作り、早速「トルコ風ブルーロンド」や「テイクファイブ」等を演奏して遊んでいました。
以来、現在でもデスモントさんは僕のアイドル的存在です。
当時、デスモントさんはデイブ・ブルーベックカルテットのメンバーの他に、自分のカルテットも持っていてギターのジム・ホールさんとのコンビが素晴らしく、ビクターから何枚もアルバムが残っています。他にストリングスとのアルバムもナカナカの名盤です。 又、ピアノレスのアルバムで「ジェリー・マリガン&ポール・デスモント」もナカナカ素晴らしいですし、晩年のCTIのアルバムもナカナカで渋いです。
……というわけで、紛れもなくデスモントさんがいなかったら僕は今までジャズを続けてはいなかったと思いますし、高校でジャズへの興味は無くなっていたと思いますから彼は僕の恩人ですね。
又、大学に進むと沢山の友人もでき、林りり子先生の門下生の先輩にナント! アルトサックスの渡辺貞夫先生が兄弟子である事が判明するのです。
林先生曰く「貞夫がアメリカから帰ってくるから聴きに行ったらどう……?」との事。