18年前、芸大邦楽科を卒業したばかりの娘・果林は、近所の道で交通事故にあって死んでしまった親猫とその横にいた2匹の子猫が数匹のカラスに襲われていたのを見て思わず助けて家にこの2匹の子猫を連れてきた。オスは「カボス」メスは「チクワ」と名付けたのだが、カボス君は友人に貰われていき、残ったのがこのチクワチャン。早いものでもう18歳となりました。推定80歳とのこと……僕と年が逆転となった。
18年前、芸大邦楽科を卒業したばかりの娘・果林は、近所の道で交通事故にあって死んでしまった親猫とその横にいた2匹の子猫が数匹のカラスに襲われていたのを見て思わず助けて家にこの2匹の子猫を連れてきた。オスは「カボス」メスは「チクワ」と名付けたのだが、カボス君は友人に貰われていき、残ったのがこのチクワチャン。早いものでもう18歳となりました。推定80歳とのこと……僕と年が逆転となった。
スタジオの仕事をし始めた僕は時間が空くと、近所のジャズ喫茶で新しいアルバムをせっせと聴いていた。
その頃ピアノのチックコリアさんは何でも吹いてしまうリード奏者(ソプラニーノからバスサックス、Esクラリネットからコントラバスクラリネットまで…フルートも吹く…)アンソニー・ブラックストンというリード奏者と「サークル」だったか………?フリーミュージックのバンドをやっていた。………が、ストップ‼️して……突然彼自身のバンド「リターン・トゥー・フォー・エヴァー」というバンドを組む。
フローラ・プリム(歌)、アイアート・モレイラ(パーカッション)、スタンリー・クラーク(ベース)が参加する何ともブラジル色が濃い……僕にとってはすごくポップなバンドだったが、そこへ素晴らしいサックス&フルートを担当するジョー・ファレルさんが参加していた。
普通……サックスを主に吹くプレイヤーはフルートの精度が落ちる………と 僕は思っていた。
しかし、このジョー・ファレルさんはアルトフルートは勿論フルートそして、難しいピッコロまで難なく吹きこなし、ソプラノ&テナーサックスはソウルフルというよりは大変エモーショナルにビュービュー鳴らせる。
しかもしかも、彼はエルヴィン・ジョーンズのピアノレスのトリオのアルバムにも参加していて、ピッコロから〜〜〜テナーサックスまで見事に吹きこなす。……エルヴィンの別のアルバムではコールアングレまで吹くのにはびっくりした。
(日本でも僕が憧れていたテナーの村岡健さんが…「学生街のガロ」のアドリブソロ………だったかコールアングレを吹いていた?)
ピアノレスのアルバムはロリンズやリー・コニッツ等、素晴らしいアルバムを作っているがサックスの音色は1種類だ……
だから良いという訳では無いのだが、……しかし、ジョー・ファレルさんは様々な楽器の音色が次々に飛び出してくる。おまけにエルヴィンとの絡みがご機嫌で、ピアノレスでこんなワクワクするアルバムは初めてだ。
このジョー・ファレルさんがチック・コリアの「リターン・トゥー・フォー・エヴァー」に参加していて、明るく済んだ音で歌うこのアルバムのフルートに僕はすっかり惚れ込んでしまった。
このバンドはすぐに解散してしまったのだが、再結成して来日したのだが、僕は聴き逃すまいと馳せ参じ……聴き惚れてしまい、今だにあの感激は覚えている。
丁度この時期、僕はフリーミュージック(フリージャズともいう)をやりながらスタジオではポップな音楽を要求されていたからジョー・ファレルやアンソニー・ブラックストンのプレイは大変参考になった。
ジョー・ファレルさんのアルバムはソプラノサックス&フルートが多く、今もよく聴いているのだが、これだけ色々の音楽や楽器をこなす人は当時きっとスタジオでも引っ張りだこだったに違いない!
スタジオミュージシャンの集まったビックバンド「サド・ジョーンズ&メル・ルイス」のビックバンドは……クラリネット&テナーサックスのエディー・ダニエルスさんとフルート&テナーのジョー・ファレルさんとの2人の二大モンスターテナーサックス奏者が在籍するバンドで、これはこれだけで凄いのですよ!
そう、このビックバンドも来日したのですが、勿論聴き逃すまいと僕は聴きに行きました‼️
ジョー・ファレルさんの「ペニー・アーケード」等のアルバムはギターのジェフ・ベックと組んだアルバムが多く、エモーショナルな音でテナー&ソプラノサックスを吹きまくる、ロック色の濃〜〜〜〜い気持ち良いアルバムです。
スティービーワンダーの曲だったか……全音スタッカートの音形をテナーで綺麗にフォルティシモで吹ききったり、高音のロングトーンをフルトーンで吹ききったり、多少お稽古の賜物的な所はあるが、テクニックも相当なものだと思う。しかもフルートは抜群に上手い人だ‼️
僕はウィン・ショーターの様なスタイルが嫌いというわけではないのだが…………日本ではウニュウニュして多少憂いがあるようなテナーサックスが好まれる様な感じがする。
でも僕はフルート奏者だからか?………スカッと明るい音楽が好きなんだ……と改めて感じたのがジョー・ファレルさんです。そういえばロリンズさんもですか………
こんなにフルトーンで思い切りバンバン……テナーを吹けたら良いだろうな〜〜〜〜〜‼️
僕の憧れです‼️😍😍😍😍
芸大を卒業するとアルトだけで無くテナーサックスが吹きたくなり、東京交響楽団の地方まわりのエキストラやスタジオの仕事をして貯めた小遣いを持って、僕は石森楽器へ同学年の中村誠一君に頼んで一緒に行ってもらい、何本かのセルマーのテナーの中かから良いテナーサックスを選んでもらった。
早速…高校の時に人生で初めてコピーしたロリンズのアドリブソロの譜面を吹いたりして遊んでいたのだが、この時、世の中……テナーを始める人達は大体コルトレーンへ興味を持っていた中で、僕はソニー・ロリンズとかスタン・ゲッツが大好きでよく聴いていた。勿論コルトレーンが嫌いでは無く、「バラード」や「コルトレーン&ジョニー・ハートマン」は大好きだったのですが………
当時、僕はフルートで現代音楽の世界に飛び込んで「フルートとパーカッションの為のエクローグ」(Teruyuki Noda)を吉原すみれ嬢のパーカッションと僕のフルートでダイレクトカッティングのレコーディングしたりしていた。実は僕の人生で初めてのレコーディングは現代音楽だったのです。
カメラータ・トウキョウから「吉原すみれ/エクローグ&チクルス」としてリリースされたのだが、今は違うアルバムになって残っているようです。
その頃僕は武満徹さんの「ミュージック・トゥデイ」や「現音展」等で現代音楽とオーケストラプレイに没頭していた。その後、僕はジャズフルートを始めるまで、現代音楽のグループ「ヴァン・ドリアン」をハープの木村茉莉さんやパーカッションの吉原すみれさん達と10年以上組んでコンサートシリーズをかさねていた。この頃に録音したアルバムも「フルート・ミュージック・トゥデイ/中川昌巳」として残っている。
その傍………ジャズピアニストの市川秀雄トリオにテナーサックスを携えて乱入し、そのままジャズのイロハを知りたくて市川さんのバンドで5年間研鑽を積む事になるのです。
その前にも、佐藤允彦&冨樫雅彦&中川昌三による「CPU」や、冨樫雅彦さんのフリーミュージックのトリオやカルテットにも、アルトサックス&フルートで数年間参加………又、大野雄二さんの「大野雄二&エクスプロージョン・バンド」にもアルトサックス&フルートで数年間参加させて頂いた。この時期は今になって思うと、テナーサックスを始めた事もあって、僕自身の為に、本当に様々なスタイルのジャズの勉強になっていたと思う。
その頃の一週間のスケジュールは、月曜、水曜、木曜日の午前中はクラシックのオーケストラでフルート&ピッコロを吹いて、午後は八王子にある東京純心女子大学のフルート科でクラシックを教えたり、現代音楽音楽や室内楽のリハーサルをやったり、そして夜はジャズクラブでアルトやテナーサックスを吹く………
……とは言っても、現代音楽やジャズクラブは殆ど持ち出しで赤字、オーケストラやフルートの講師の給料だけでは生活できないので……大野雄二さんの作曲のアニメの音楽「ルパン三世」や映画音楽の「犬神家の一族」「人間の証明」等で、スタジオミュージシャンをして稼がして頂く………という生活をしていた。実は僕の家族は大野雄二さんに食わせて頂いて貰っていたと言っても過言ではないのです。実際、大野雄二さんには足を向いて寝られないのです。
(笑)
それにしても何と充実した20歳代、30代の生活だったか………
クラシックや現代音楽の練習をし終えた後、サックスを吹くのは気持ち良いのだが、アルトよりテナーサックスの方がデカイ音がして何ともスカッとした爽快感がたまらなかった‼️
豪快に吹きまくるロリンズのアルバム
僕らの20代の頃、深夜番組でジャズの番組があってそのテーマミュージックに、確か………
ウェストコーストで活躍していたドラムのチコ・ハミルトンさんのクインテットの演奏で「ブルーサンズ」(バディ・コレット作品)という曲が流れていました。
この曲、ドラムというよりは現代音楽の仲間だった吉原すみれさんが叩くようなクラシックのパーカッションのようで……トムトムのオスティナートに乗ってバディ・コレットさんのフルートが何とも不思議な雰囲気を漂わす「ブルーサンズ」という曲が何とも好きだった。
ここでフルートを吹くバディ・コレットさんはアルトサックスも吹けばテナーサックスも吹くクラリネットも上手いしフルートも吹く。チョット、チリメンがかったビブラートのフルートなのですぐ彼とわかってしまうのですが、それが何ともオリエンタルな……何処かのネイティブな笛に聴こえて来る。この方はウェストコーストで活躍していて自分のアルバムはもとより様々な録音に参加していて色々活躍していた方のようです。
もうお一人は、ウィントン・ケリー(ピアノ)のアルバムで「ケリー・ブルー」という曲があるのですが、これまた不思議なサウンドの曲でセクションでフルートが登場します。
テナーサックス&フルートのボビー・ジャスパーがフルートを担当しているのだが、これまた良い雰囲気を出している。この人はヨーロッパから渡ってきた方らしくサックスと持ち替えのフルート奏者として活躍していた方で、彼自身のアルバムもリリースしていますがナカナカフルートソロも良いですネ!
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まだ卒業したての頃、僕は友人に誘われてパーシー・フェイス・オーケストラの一員で来日していたリード・アルト奏者のジェローム・リチャードソンさんに会いに彼の泊まっているホテルに行った。ナント……その時、彼は「ダフニスとクロエ」のフルートソロを復習っていたのにはビックリしたものだ。
(ジェローム・リチャードソンと言えば、チョット人数が多いセッションのレコーディングの時は必ず様々な楽器で入っていた。マルチサックスはもちろんマルチフルート、バスクラリネットなど……)
きっと日々自分の技術が落ちないようにクラシックも訓練されているのだなあと感心した。
彼の隣の部屋にはサードアルトの名前も知らない方がいらっしゃって、ソプラノサックスを練習していた。これが聴いたことのない とんでもなく良い音だった。しかもこの方はオーボエもバスーンもこなす、マルチリード奏者との事。ジェロームさんが「何でもこなしてしまう素晴らしいミュージシャンだ‼️」……と紹介して下さった。
アメリカという国はマイルス・デヴィスやコルトレーンのような偉大な言わばアーティストミュージシャンも多々いらっしゃるが、
このパーシー・フェイス・オーケストラのサード・アルトの方ような、リード楽器なら作編曲家の要求に何でも答えて吹いてしまう 言わば職人的な能力に長けた素晴らしい方も多々いらっしゃる。
又人気アーティスト 奏者をやっていても 要求されれば何でもスタジオミュージシャンとして自分流に演奏してしまうバッド・シャンクみたいな人気者の方も多々いらっしゃいます。
どのタイプの音楽家も 素晴らしく才能があれば認めてくれるのが当時のアメリカの音楽シーンだったと思う。
そのような事を知るきっかけになったのは、
バーン・シュタイン作曲の「ウェスト サイド・ストーリー」のミュージカルを知る方は多いと思いますが、ジョージ・チャキリスさん達が来日、公演を敢行したのですが、アメリカのミュージシャン達が吹く譜面をそのまま日本に持ってきて日本のミュージシャンで公演をした事があったそうです。
要は あちらでは予算を抑える為だと思うのだが、少ないミュージシャンで公演をする為、持ち替えが多々あったとの事。
一番凄かったのがバスサックスの数小節後に持ち替えでピッコロが書いてあったとか……
成る程、そこにピッコロだろうがオーボエが、出てきても、きっと例のパーシー・フェイスのサードアルトのおじさんは吹いてしまうのだろうな………と、ふと思いました。
日本公演ではそんな持ち替えを出来るようなプレイヤーは日本にいなかったと思いますから、その分、分業してミュージシャンが大分増えてしまったそうですよ!
アメリカの有名なトップアーティストのミュージシャンは確かに素晴らしいのだが、名もないスタジオミュージシャンの中にはもっと凄い人がいるかも知れない?………そんな人はトップミュージシャンの真似するのもきっと上手い筈だと思うし…………きっと本物より上手いかもネ‼️
ところで 先日、歌謡界で有名な作曲家 筒美京平さんが亡くなったとか……
彼は「自分はアーティストではなく職業音楽家だ‼️」……と公然とおっしゃっておられたとか。
「歌手の為に売れる曲を作るのが僕の仕事だ。」……とも。要は黒子に徹しているとの事。
それでいて彼はポップスとか流行歌は嫌いだったとか。
それで流行歌を ン〜〜千曲も作ってしまった筒美さんは本当に凄い方だったんだ‼️
でも彼はその時期その時期の流行を察知してしっかり勉強していたのでしょうね。
(僕も若い頃、フルート奏者としてご一緒した事があった)
僕の友人のサックスの苫米地義久君は筒美京平さん(ピアノ担当)とバンドをやっていたとか………
凄い……を通り越して
ものすげ〜カッコイイ‼️
僕にジャズの仕組みや「イロハ」を教えてくれた大恩人の大谷君は、その才能を開花し打楽器ではなく、ピアニスト&作編曲家になってサッサと芸高を中退し去って行った。
残された僕の興味はハービー・マンからアルトサックスのポール・デスモントへと移っていくのだが、僕は芸大を卒業してスタジオプレイヤーとして働いた頃、赤坂にあるコロンビアスタジオで仕事をしていたら……隣のスタジオに数人の外人の気配があったので…誰かな❓………と覗きに行った……そうしたら
ナ、ナ、ナント……ハービー・マン クインテットの面々で、生録音中とはビックリした。
ハービー・マン(フルート)、ロイ・エアーズ(ヴァイヴ)、ミロスラフ・ヴィトス(ベース)、ソニー・シャーロック(ギター)ブルーノ・カー(ドラム)……という面々。
僕も生活の為の大事な仕事中だったので勿論聴けなかったのだが、休憩中に隣のスタジオを覗くと、メンバー達のの背が高くデカイ事……遠くからベースのヴィトスさんがコーラを飲んでいるのが見えたので、近ずいてよく見たらコーラの瓶がナント‼️お徳用サイズのデカイ瓶を一気にラッパ飲みしていた。
凄い筈だよね……ヴィトスさんってあんなにデカイんだもの……どんなパッセージだってヒョイヒョイと弾いてしまう感じだった!ギターのマンドリン的奏法を駆使するソニー・シャーロックもユニークな存在だった。これ程の当時の若手の精鋭を集めて日本に来て録音してアルバムを残し続けていたハービー・マンもやはり凄い人ですよ‼️
ハービー・マンさんはお祭り騒ぎ的に吹きまくるだけではなく、「By the Time I get to Phoenix」や「リパブリック賛歌」……スローナンバーも良く歌うし僕らの心に染み入る歌を持っている。
しかも彼はアメリカの文化使節でブラジルをはじめ世界中を飛び回っていたとか……
いち早くボサノヴァ等、ブラジルの音楽やキューバの音楽を取り入れたりしていた。
世界中の地方地方のネイティヴなフルートもよく吹くのだが、何でも吹きこなしてしまう。
中東の音楽だったり、アフリカだったりどんな音楽でも自分の音楽に取り入れてアルバムにしてしまう。本当にフルート音楽の申し子みたいなミュージシャンだ。
そう言えば初期のハービー・マンさんはテナーサックスを吹いているアルバムもあります。
きっとこの時期は自分の音楽を……自分がどのような音楽を残したら良いか……どうしたらリスナーに聴いて貰えるか………色々探していたのでしょうネ…………
ビル・エヴァンス トリオとのアルバムもありますが、お祭り騒ぎ感は全然ありません。(笑)
きっと死ぬまでディレクターとして、どうしたら売れるか??と自分がやりたい事をどれだけやり続けられるか…………
現実的な話……お金を稼ぐ事が出来なければ次のアルバムを作れない…売れないと次のアルバムを作れない………という葛藤の中で自分が作りたいアルバムを作り続けた凄〜〜い凄い方だと思います。
彼が残したアルバムは数え切れません‼️