訃報……アルトサックスの土岐英史君が昨日 亡くなったとのこと………

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僕の愛聴盤…土岐英史「イン・ナ・センチメンタル・ムード」

僕が芸大フルート科の学生だった頃、(多分55年程前)セルマーのアルトサックスを買ったばかりの僕は何処かのライブで吹きたくて   当時、自由ヶ丘にあった「ファイヴ・スポット」に乱入目的で行ったのだが、そこでまだ高校生の土岐英史君がアルトサックスを携えて大阪から上京していて、アルトを吹いていた。

それまで僕は恩師の渡辺貞夫先生しか聴いたことが無かったのだが、そこで聴いた土岐君は本当に高校生??……と疑うくらい凄く上手かった。

嬉しくなった僕は買ったばかりの楽器(アルト)を出して乱入……一緒に土岐君と吹いたのが彼との最初の出会いだった。

僕は当時コードの知識もほとんど無く図々しく乱入したのだが今思うとヒヤヒヤものだった。

それから数年経って土岐君はニュー・ハード・ジャズオーケストラに在籍していたのだが、彼から僕に電話があり「僕もうニューハードを辞めるんだけど、中川さん僕の後に入らない?」と誘いの電話があった。

 僕は当時芸大のオーケストラ「芸大フィルハモニア」からも誘いを受けていたので、考え込んでしまったのだが、クラシックのオーケストラも勉強したかったので、ジャズよりクラシックを選んだので、土岐君には丁重にお断りした記憶がある。

それから10年も経った頃だろうか………僕はフルートでクラシックを勉強しながら、ライブではサックスを吹いて遊んでいたのだが、大野雄二さんや佐藤允彦さんのバンドで土岐君と一緒に演奏する事となる。他にもサックス奏者の先輩諸氏がいらっしゃったので僕はサックスよりフルートで演奏することが多くなっていくのだが、毎回毎回土岐君のサックスには本当に勉強させて頂いた。

僕が好きなアルトサックス奏者はアート・ペッパーフィル・ウッズさん他、勿論 土岐英史くんも……皆さん自分の音色と音楽を持っているのですが、ワンノート吹いただけで納得させられる。一音吹いただけで奏者の歌が胸に訴えてくる。間違いなく土岐英史君はアルト奏者として必要な才能を全てもっていた。

 

最近は土岐君にお会いすることも無くなってしまったが、僕は今までいつも土岐君を尊敬し敬愛していた。又 50年以上前からお付き合いさせて頂いた事に深く深く感謝しています。

土岐英史さん……長い間本当に本当にありがとうございました。[合掌]

 

 

僕が芸大講師だった時、変わり種生徒さんだった齋藤寛君が日本版監修をした本です。

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ペーター・ルーカス・グラーフ著「ふるーとの響きを豊かにする52の質問」

僕がまだ牛久に住んでいた頃だろうか、僕は突発性難聴を患い、耳に負担が掛かる演奏の 仕事からフルートや音楽一般を教える教師への仕事へと転換させる為、当時は芸大でフルート科の講師として、又、桐朋短大で室内楽の講師をしていた頃か…………

芸大の一年生に「将来ロックをやりたい……!」と僕の所に来た生徒さんが齋藤寛君です。

後にも先にもロックをやりたいと言って芸大のフルート科に入ってきたのは彼だけでした。

(ちなみにジャズフルートをやりたい……という生徒は一人もいませんでした。)(笑笑)

もっとも桐朋短大の室内楽の授業で教えていた生徒さん達に、たった1〜2時間ではあるが、世の中の音楽需要に応じる為、必要と感じ、即興の初歩の初歩を教えてのだが、以後、数人ではあるが卒業生からジャズやブラジル音楽に身を投じた生徒はいるらしいので、僕の思いは通じたらしいのです。

さて齋藤寛君は僕の手を離れ、ナント!   バリバリのクラシック……巨匠、僕も大好きなグラーフ先生に師事したようで、現在はフルート四重奏のグループで演奏は勿論、作曲や編曲も担当し、素敵なアルバムを製作したりしている。

その彼がグラーフ先生の本の日本語の監修をしたというお知らせです!

最近、僕がやっていない事を、いとも簡単にやってのける若者が多く本当に頼もしい限りです。これからも益々ご活躍を祈ります!

だが、まだ彼からフルートを中心にしたロックバンドを組んだ………という話は聞いていない。

これからが楽しみな生徒さんです‼️

さすが…自衛隊!!全てがスムーズでした。

っr

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モデルナ製のワクチンを打っていただきました。

僕等は団塊の世代真っ只中で、今年度中に75歳になるのですが、このコロナ禍の中、市からワクチン接種権が送られて来たのですが、毎週月曜日…パソコンに向かい申し込んではみるものの、何回申し込んでもダメで、この分では、数ヶ月後でもかかりつけ医のお医者さんの所で打って頂くしか無いと諦めていた。

そこへ自衛隊の接種センターの映像をテレビで見て、もしかしたらと早速申し込んでみたのだが、ナント………すんなり申し込めてしまい、それまでの市の対応は一体なんだったの??

ん〜〜〜キット市としては慣れない事に対応するのに四苦八苦したのでしょうか?

指定の時間にカミさんと大手町の合同庁舎に向かうと、僕等が道を間違わないようにカードを持った若者が道案内してくれ、到着すれば物凄くスムーズに誘導して頂き、看護師さんの面談お医者さんの診断から接種、そして副反応の出そうな方は30分ほどリラックスする場所への誘導、そして2回目の接種の予約と、すべての所に看護師さんと誘導員の方がいらして対応してくださり、庁舎をでるまで全てがスムーズで感動的でした!   自衛隊の皆さん感謝感謝です。これからワクチン接種権を受ける皆さん…自衛隊の接種センターはオススメです‼️

 

岡部文明さんの絵本「ピエロになった王様」

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写真は故・岡部文明さんの絵本「ピエロになった王様」ですが、この絵本のすべての挿絵が今開催されている岡部文明展において壁一面に飾られています。

場所は東京都中央区銀座7-11-6. GINZA. ISONO ビル 3F うしお画廊  です。

(現在渡欧中の僕の娘の二五弦箏奏者・中川果林が数年前演奏旅行で訪れた九州で岡部文明さんと知り合い、かれのヴァイオリンを弾くピエロの絵の前で魅せられてしまい動けなくなってしまったとの事。彼曰く、「この絵は君の所に行く運命なんだよ」………と言ってその絵を果林に送ってくださったのです。)

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すべて岡部文明さんの絵本「ピエロになった王様」の挿絵です。

 

ピエロの絵で有名な故・岡部文明さんの個展が開かれています。

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一昨年秋に開かれた岡部さんの(車椅子の方)個展で僕は一曲吹かせて頂いた。

素敵なピエロの絵で有名な画家・岡部文明さんが一昨年、横浜レンガ倉庫で個展を開催した折、僕はお祝いにフルートを吹かせて頂いたのですが、その岡部さんが昨年の4月に肺炎で急死されてしまったとの事。本当に本当に残念でなりません。

今週の土曜日まで 岡部さんが残された作品の個展が   Ushio GaRo うしお画廊(東京都中央区銀座7-11-6イソノビル3F)の画廊で個展がひらかれております。是非皆さん岡部文明さんが残された素敵なピエロの絵で和んで頂きたいです。

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1年以上に渡る隠遁生活…超久し振りの録音でした。

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この一年、ライブは勿論、録音やコンサート全てキャンセルさせて頂いていましたが、

やっと一年振りに先月   大野雄二さんの仕事に参加させて頂きました。

………といっても僕のために  マネージャーさんの計らいで、新型コロナの感染を考慮し、密を避け、僕一人での  全曲ダビングでの参加とさせて頂きました。

勿論当日  僕以外のすべてのスタッフの方々がマスク装着しての仕事なので  僕は皆さんの写真を写す事が出来ませんでしたので、上の写真は以前のものです。(笑)

僕はフルートを吹くのにマスクを装着できないので、録音中の数時間  持参したオゾン発生器具の殺菌装置を録音中ず〜〜〜っとオンにしてのレコーディングとあいなりました。

こんな事は未だかつて無かったことですが、お陰で計画通りに全て音録リ出来ました。

無事完了に感謝です。

 

ところで 今回の 素晴らしい 録音技師は  イヨベ富治さんで、50年以上前の事、僕が在団していたオーケストラの夏休みを利用して、僕はイヨベさんと一緒に北海道へ行って   ある化粧品会社のコマーシャルに出演したのです。

僕は苫小牧の近所にある沼地の辺りで  女優の壇ふみさんの後ろで縦笛を吹く北海道の少年の役で  出演し、映像を撮ってきたのですが、それとは別に、映像のバックミュージックとして   明治時代の小学生唱歌をオカリナのソロで北海道の鳥をバックに流す為、早朝5時前に起床しスタッフと一緒に車で山奥に入り  鳥の声をバックに  僕の吹くオカリナのソロをイヨベさんに録音して頂き   彼には大変お世話になりました。

この後、  数ヶ月間  テレビからこの時のCMが流れていて  僕はそのCMに写っておりましたが、僕がこのCMに写っているのに気がついた方は本当に数少かったようです。(笑)

 

この撮影中に僕は  背中がムズムズして 痒くなってきたのですが  撮影中の為、ジッと我慢していたのです。無事撮影が終わって僕の背中をスタッフさんに見てもらったら  ナント  毒々しい 毛虫が這っておりまして、この後  僕の背中は腫れ上がり  、お医者さんに行く羽目になりました。

お医者さん曰く「北海道の毛虫は熊仕様だからナ……🐻🧸人間にとっては大変なんだよ。ハハ………」との事。今思うと、録画を終えたその日  僕は注射を打って一人寂しく静かに寝ていた記憶しかなかったです。(笑)

でもこの仕事の後、この仕事のギャラで 北海道一周のドライブ旅行を満喫してきました‼️

関係者の方々   ……ありがとうございました‼️

朝NHK BSでプレミアムカフェで加古隆さんが……………

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加古君は芸大の同級生で、僕はフルート科でしたから器楽科以外の友人以外では作曲家の今のカミさん(中川いづみ)と加古隆君、それに一年先輩の森山威男さんがジャズ仲間として卒業まで仲が良かった。
卒業後は僕はクラシックのフルート奏者になるべく室内楽やクラシックのオーケストラに身を置いていたのですが、加古君はフランスへ留学し、パリのコンセルバトアールに在籍し巨匠・オリビエ・メシアンの弟子となった。そして彼は在学中にフリージャズに出会い。自分達のトリオを組みヨーロッパでデビューし活動を始める。その後、僕はというと現代音楽にものめり込み、僕もフリージャズの演奏家ともセッションを重ねるようになっていた。卒業して数年経ち、彼とはパーカッション奏者の富樫雅彦カルテットで彼はジャズピアニストとして、僕はアルトサックス奏者として再会し、バンドを共にすることになった。

加古君は作曲家ピアニストとしてトータルに音楽を感じていたと思うが、僕はフルート奏者としての比重が大きく、フリージャズ界では片手間でサックスを吹くようになったから、当然の如く音楽に対してスタンスが違っていて、彼はどんな音楽をも深く愛し活動していたが、僕はというとジャズに対しては遊びの域を超えてはいなかったから当然ギャップが生じた。(笑)

 

それから現在に至るまで加古隆君は作曲家ソロピアニストの道を進むことになり、今は作曲家&ピアニストとして押しも押されぬ大きな存在になった。

彼はフリージャズをやろうがソロピアノを弾こうがそのスタイルは変わっても彼の音楽の土台は昔と何ら変わってはいないと僕は思う。

 

僕はというと、もう一度原点に帰りサックスではなくフルート音楽の一から勉強すべく、現代音楽のグループやオーケストラ、室内楽とフルートに勤しんだ。

その後僕は40歳にして新しい音を求めて、ジャズフルート奏者としてでもう一度ジャズの道も歩むことにはなるのだが……………

一方、その頃クラシックのフルート奏者としても各地でリサイタルやオーケストラとのコンサートに携わらせて頂いていた。ドイツで活動しておられた作曲家故・イサン・ユン氏のフルートコンチェルトを数回演奏させて頂いたが、大阪でも(フェスティバルホールだった……?)大阪フィルと京都市交響楽団だったか…2回程演奏させて頂いた時に、ナント‼️

もう亡くなられたのだが、加古君の母上がわざわざ楽屋まで訪ねて来てくれた。

これは本当に本当に嬉しかった!

…というのは、芸大に入学し僕等が一年生の時、夏休み僕は加古君の実家へお邪魔して、居候しながら加古君のジャズ仲間(ドラムの大森君、ギターの奥村君達と)合宿し、ジャズクラブで練習&演奏したのだ。いうまでもなく何から何まで加古君や彼の母上には本当に大変お世話になったのだ。  今思うと本当に楽しい学生時代を過ごさせて頂いたし、加古君、そして母上には感謝しかありません‼️

又、つい数年前まで在籍していた東邦音大には加古隆君の弟さん・加古勉さんがトランペット科の教授で、学生達を率いてビッグバンドの指揮をしていたのだが、ここでも僕は加古勉さんに大変お世話り定年になるまで学生達とビックバンドを楽しませて頂いた。

本当に加古家には感謝、感謝です‼️