僕にジャズの仕組みや「イロハ」を教えてくれた大恩人の大谷君は、その才能を開花し打楽器ではなく、ピアニスト&作編曲家になってサッサと芸高を中退し去って行った。
残された僕の興味はハービー・マンからアルトサックスのポール・デスモントへと移っていくのだが、僕は芸大を卒業してスタジオプレイヤーとして働いた頃、赤坂にあるコロンビアスタジオで仕事をしていたら……隣のスタジオに数人の外人の気配があったので…誰かな❓………と覗きに行った……そうしたら
ナ、ナ、ナント……ハービー・マン クインテットの面々で、生録音中とはビックリした。
ハービー・マン(フルート)、ロイ・エアーズ(ヴァイヴ)、ミロスラフ・ヴィトス(ベース)、ソニー・シャーロック(ギター)ブルーノ・カー(ドラム)……という面々。
僕も生活の為の大事な仕事中だったので勿論聴けなかったのだが、休憩中に隣のスタジオを覗くと、メンバー達のの背が高くデカイ事……遠くからベースのヴィトスさんがコーラを飲んでいるのが見えたので、近ずいてよく見たらコーラの瓶がナント‼️お徳用サイズのデカイ瓶を一気にラッパ飲みしていた。
凄い筈だよね……ヴィトスさんってあんなにデカイんだもの……どんなパッセージだってヒョイヒョイと弾いてしまう感じだった!ギターのマンドリン的奏法を駆使するソニー・シャーロックもユニークな存在だった。これ程の当時の若手の精鋭を集めて日本に来て録音してアルバムを残し続けていたハービー・マンもやはり凄い人ですよ‼️
ハービー・マンさんはお祭り騒ぎ的に吹きまくるだけではなく、「By the Time I get to Phoenix」や「リパブリック賛歌」……スローナンバーも良く歌うし僕らの心に染み入る歌を持っている。
しかも彼はアメリカの文化使節でブラジルをはじめ世界中を飛び回っていたとか……
いち早くボサノヴァ等、ブラジルの音楽やキューバの音楽を取り入れたりしていた。
世界中の地方地方のネイティヴなフルートもよく吹くのだが、何でも吹きこなしてしまう。
中東の音楽だったり、アフリカだったりどんな音楽でも自分の音楽に取り入れてアルバムにしてしまう。本当にフルート音楽の申し子みたいなミュージシャンだ。
そう言えば初期のハービー・マンさんはテナーサックスを吹いているアルバムもあります。
きっとこの時期は自分の音楽を……自分がどのような音楽を残したら良いか……どうしたらリスナーに聴いて貰えるか………色々探していたのでしょうネ…………
ビル・エヴァンス トリオとのアルバムもありますが、お祭り騒ぎ感は全然ありません。(笑)
きっと死ぬまでディレクターとして、どうしたら売れるか??と自分がやりたい事をどれだけやり続けられるか…………
現実的な話……お金を稼ぐ事が出来なければ次のアルバムを作れない…売れないと次のアルバムを作れない………という葛藤の中で自分が作りたいアルバムを作り続けた凄〜〜い凄い方だと思います。
彼が残したアルバムは数え切れません‼️